八木福次郎さんの写真

八木福次郎さん プロフィール

1915(大正4)年、兵庫県明石市生まれ。旧制加古川中学校卒。 1933(昭和8)年に上京、古今書院に入社した後、1936(昭和11)年に日本古書通信社に入社。その後、現在に至るまで70年以上にわたって、神保町を拠点に古本の面白さ、古書街の楽しさを伝え続ける。90歳をこえた今なお現役で、2007年10月には平凡社から『古本蘊蓄』を出版。

駿河台小川町繪図(幕末)
神田古本屋分布図(1903年/明示36年)

特集 神保町を見守り続けて70年"古書店街の生き字引"八木福次郎さんに訊く パート1

武家屋敷だったからこそ古書店街になった!
―― 幕末・明治期の駿河台、小川町、神保町周辺の街の様子はどのようなものだったのでしょうか?
八木 その時代の神保町周辺を知るには「江戸切絵図」という古地図を見るのが一番いい方法でしょう。まず現在の御茶ノ水駅から飯田橋駅にかけて中央線沿いを流れている神田川にかかっている橋は、昌平橋と水道橋しかなかったのが分かります。お茶の水橋は明治24年、聖橋は昭和3年にかけられた橋です。御茶ノ水から駿河台下に通じる道沿いには小栗上野介忠順の屋敷がありました。小栗は、万延元年、遣米使節として渡米、その時の経験をもとに造船所を造ったり、税制・造幣にも功績があった能吏として活躍しましたが、その優秀さゆえに新政府から恐れられ、処刑された幕臣として有名ですね。現在、その向かいは明治大学リバティタワーになっています。ここも元々は中坊家という旗本の屋敷、その隣には亀井与十郎という、これまた旗本の屋敷がありました。この亀井与十郎こそ、三省堂書店の先祖なんです。
―― 先祖からこの界隈に住んでいたのですね!そう言えば、地図を見ると、現在の三省堂書店があるところに、「神保小路」と名前がついている通りが2つありますね。
八木 いまの駿河台下の交差点付近に土浦藩江戸屋敷があって、そこから西へ二本の道路が併行して通じています。南側の道路には「表神保小路」と書かれています。これが今の「すずらん通り」、「さくら通り」です。そして併行したもう一本が「裏神保小路」でいまの「靖国通り」。このさくら通りの西側に九百石の旗本で、元禄2年から幕末までここに住んでいた神保伯耆守の屋敷がありました。この旗本の名前が神保町の名前の由来なのです。
―― それにしても、この界隈はほとんどが武家屋敷だったのですね?
八木 そうなのです。旗本はもちろん、大名の江戸屋敷もあった。小川町、駿河台下辺りにもずらっと武家屋敷が並んでいた様子が分かります。
―― そのような地域がなぜ今、このような書店街になっていったのでしょうか?
八木 実は、古書店街が出来たのは、この武家屋敷が多かったということがとても重要な要因だったのです。なぜかというと、明治に入って徳川幕府が崩壊すると、この地図に記載されている大名や旗本(つまり、神保町界隈に武家屋敷をもっていた人々)は、一斉に国許へ帰ったり、徳川慶喜について静岡へ行ったりして、空家になったわけです。そこに、新政府の役人や要人たちが入ったり、広い空地には学校や病院が造られた。例えば、東京大学の前身で幕末から一ツ橋にあった蕃書調所が、開成学校になり、神田和泉町の医学所が東京医学校となって、それらが明治10年に合わさって東京大学となった(その後、18年に本郷へ移る)。現在、一ツ橋にある学士会館がその名残です。他にも、学習院、順天堂、東京女子師範学校、東京物理学校、東京法学校、明治法律学校などが明治の初めから中ごろにかけて、神田、御茶ノ水、神保町、小川町近辺にでき上がっていったわけです。これだけ一つの地域に学校が集中しているところは他にはありませんでしたから、学生が全国から集まってくる。書物の需要が増えたのも必然でしょう。
―― なるほど。神保町で開業した書店でもっとも古いお店はどこなのでしょうか?
八木 もっとも古いのがどこかというのはなかなか確定できないのですが、少なくとも、今も残っている書店では、三省堂書店、東京堂書店、それから今では出版社ですが、有斐閣などが挙げられますね。ここに明治36、37年ころの「古書店分布図」があるのですが、これを見ると、出版社や古書店がすでに多くあったことが分かります。
―― すると、この時期が現在の神保町の原型ということになりますか?
八木 いやいや、この時期はまだそうとは言い切れません。まず靖国通りが現在に比べるとはるかに狭い。地図をみれば分かりますが、この当時はすずらん通りの方がメイン・ストリートだったようです。
―― 靖国通りが広がったのはいつくらいでしょうか?
八木 大きな転機は東京市電が走った明治39年あたりですね。先ほど触れた地図のほんの数年後です。市電が走ったことは大きな意味をもちます。靖国通りが拡張され、それまで、すずらん通りがメインストリートだった神保町1丁目界隈の中心が、靖国通り側に移動したわけですね。靖国通りを中心に古書店街が広がっているという意味では、現在の古書店街の原型ができるきっかけだったと言えます。
―― 現在も続いている草分け的古書店は有斐閣というお話しでした。
八木 そうです。有斐閣の創業者は江草斧太郎という人で、初めは有史閣という名で古本屋としてスタートし、まもなく有斐閣とあらためたのです。そして法律書の出版で基盤を築きました。
―― いま出版を生業にしている会社も、はじまりは古本屋だったというところが多いのですか?
八木 有斐閣の他には岩波書店がその典型ですね。なぜ、古書店から始めるのかというと、書物を知るための勉強、需要の多い本、何が必要とされているかなどを知ることができるからです。古本は仕入れにも、売価をつけるにも、その書物に対する評価が必要とされる。売れなくても返品はできないので真剣なんですね。

関東大震災、第二次世界大戦をたくましく乗り越える!