夏目漱石と明治文学の散歩道

神保町散歩道

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夏目漱石と明治文学の散歩道 散歩する

散歩道 1 学士会館

まずは神保町駅A9出口すぐの学士会館から。ここは、漱石が通った大学予備門という官立学校があった場所。漱石が大学予備門に入ったのは明治16(1883)年のこと。A9出口の真正面には、野球のボールを握った手のモニュメントがある。日本に野球を伝えたとされる故ホーレス・ウィルソン氏がここで野球普及に努めた。漱石と同窓で、終生の親友となる正岡子規らが熱心に野球に興じた。子規が幼名の「升(のぼる)」をもじって「野球(の・ぼーる)」という雅号を用いたことは有名。

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散歩道 2 中野書店古書部

神保町交差点へ移動し、靖国通りに沿って九段下方面へ50メートルくらい歩いたところに神田古書センターがある。その3階にある中野書店古書部は、平安時代の経典や書物から、近代文学の初版本にいたるまで「古くて貴重な本」が豊富に揃う店。入り口にあるガラスケースの中には、『我が輩は猫である』をはじめ、尾崎紅葉や徳富蘆花など明治の文豪たちの初版本が、整然と並べられている。どの本も表紙の絵が味わいがあっておもしろい。高価ではあるが、購入も可能。

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散歩道 3 玉英堂書店

中野書店のある神田古書センターを出て、靖国通りを駿河台下交差点方面へ進もう。2つ目の信号の前にあるのが玉英堂書店だ。ここは2階の「稀覯本(きこうぼん)コーナー」が有名な書店。稀覯本とは、古い時代の本であったり、限定して出版されたため、数が少なく手に入りにくい本のことをいう。漱石や泉鏡花、尾崎紅葉、幸田露伴といった錚々たる顔ぶれの初版本が並ぶ。また直筆の草稿も多く、まるで「明治文学の博物館」を訪れたようだ。

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散歩道 4 八木書店古書部

玉英堂書店の二軒隣。神保町で明治文学、近代文学を探すなら、八木書店古書部を忘れてはならない。3階まである店内には、夏目漱石や森?外、正岡子規、三島由紀夫など明治、近代文学を代表する作家の作品はもちろん、作品評、作家評といった研究書など、その作家を学ぶうえで欠かせない資料も充実している。作家ごとに整理されていて、目的の本を探しやすい。また直筆原稿や書簡などのコレクションも豊富で、そこから「取り出した」署名をちりばめた包装紙は、八木書店の名物となっている。

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散歩道 5 旧錦華学校

靖国通りを渡って、マクドナルドと三省堂書店自遊時間の間の錦華通りを100メートルほど北上しよう。右手にお茶の水小学校がある。その校門脇には、「吾輩は猫である 名前はまだ無い 明治十一年 夏目漱石 錦華に学ぶ」と彫られた石碑が立っている。お茶の水小学校の前身が、1878(明治11)年の一年間だけ漱石が通った錦華学校だったことに由来するものだ(漱石が通っていたころの錦華学校は、石碑のある場所より少し西側にあった)。漱石は成績優秀で、この学校を飛び級で卒業し、東京府第一中学(現在の日比谷高校)に進学した。

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散歩道 6 ニコライ堂

お茶の水小学校の裏手、明大通りをこえて本郷通りをのぼっていくと、ニコライ堂がある。日本正教会の本部で、明治24(1891)年に竣工。完成当時は、高台にあったこともあって、かなり遠くからも見え、この界隈のシンボル的存在だった。漱石が明治43(1910)年に出版した『それから』では、主人公の代助が復活祭の話をする場面で登場する。またニコライ堂近くの井上眼科で出会った女性に、漱石が恋をしたというエピソードは有名。ちなみに井上眼科は、場所を何回か変えたものの、今でもニコライ堂の隣に健在。

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散歩道 7 松栄亭

散歩道の最後に少し足をのばして、漱石ゆかりの「洋風かきあげ」を食べに行こう。昭和のはじめまで連雀町といわれ、戦災を奇跡的にまぬがれた淡路町交差点から万世橋、昌平橋にいたる区域。今でも老舗飲食店が軒を並べるその一角に、松栄亭はある。麹町の西洋料理店「宝亭」の料理人であった初代・堀口岩吉さんが、東京帝国大学が招いたフォン・ケーベル博士の専属料理人であったころ、そのケーベル宅で夏目漱石と幸田延子(幸田露伴の実妹でピアニスト)に、肉とタマネギを塩で味付けしてフライで出したのが漱石に大好評。それを1907年に現在の地で開業するときメニューに加えた。ラードで時間をかけてゆっくり揚げるので、衣はサクサクしていて中はしっとり。ラードのほのかな薫りと甘さが食欲をそそる。

お疲れ様でした