私は、昭和28年(1953)大学を卒業すると同時に、日本橋室町にある紙の販売会社に就職しました。
いきなり営業部に配属されて、担当の得意先は小学館、集英社、岩波書店、大修館などの有名出版社でした。紙の注文を戴くのが仕事でしたから、新常盤橋から都電の17番に乗って神保町の停留所で下車、それらの会社を訪問するのが日課でした。その行きかえりに、神保町の古書店街をぶらぶらするのが楽しい道順で、同僚たちから羨まれました。秋の夕暮れなど、明るいうちに得意先に入って、打ち合わせが終わって外に出ると、あたりはすっかり暗くなっており、いかにも仕事をした気分で帰社したものです。
出版社の資材担当者との話題に、本屋さんに立ち寄って、ベストセラー情報を調べます。たまには自分が納入した紙を使用した本がランク入りしているのを発見すると、我がことのように嬉しくなり、書棚から手にとって、紙に問題ないか点検したりすることもありました。
大修館の大漢和辞典は1960年に全13巻が刊行されましたが、再版しない方針だったので、数年後高値を呼んで、古書店先に飾られた全巻に¥260,000の値がついたことがあります。この辞典の用紙こそは、薄クリーム色の色調に苦労した紙だけに、わが子が出世したような気分になりました。
すずらん通りの中華料理の揚子江のチャーシュウ麺にも、おいしかった思い出があります。また、冷やし中華そば発祥の店は此処だと聞きました。この店は日本で二番目に古い中華料理店で約100年の歴史があります。魯迅や孫文、蒋介石などが留学生時代に立ち寄ったと言われています。
カレー店では、駿河台下のエチオピアに関わりがあります。私の勤めていた室町の紙問屋のビルの隣に、インドカリーの店がありました。店主が無愛想で有名でしたが、味は天下一品。昼には行列が出来る繁盛店でした。その店の味を密かに研究していた鈴木という同僚が、定年になると駿河台下にコーヒーとカレーの店を開店しました。最初は閑古鳥が鳴くコーヒー店でしたが、あるときから急にカリーライスが人気を呼び、情報誌に取材を受けるや、行列が出来る店となり、それから大繁盛。
しかし、数年前に店主は脳溢血で倒れ、療養むなしく亡くなりましたが、息子さんが父の残したレシピを元に後を継ぎ、いまや先代を凌駕する繁盛店になりました。
カリーライスは、中辛を0として1,2,3,4,5段階から最高70までの辛さのメニュウがあります。食前に茹でジャガが一個、食後にアイスクリームのサービスがあり、カリーも美味いが、なんだか得をした気持ちになります。
